カリフォルニアの風

サンフランシスコ日本語補習校通信

2007年度  第5号

2007年9月1日()

保護者のみなさまへ

サンフランシスコ日本語補習校 校長 植木 進策

 長い夏休みが終わり、現地校では新学期が始まり、補習校では前期を残すところ1ヶ月となりました。こどもたちは、それぞれいろいろな体験をして、ひとまわり逞しくなったのではないでしょうか。これからの頑張りに期待しています。

さて、いつの時代でもそうですが、補習授業校というものは常に多くの課題をもっています。教育面でもそうですが、日本の教科書を使って学習をすること、漢字を覚えること、日本語の本を読むこと、そして、意味を理解し文章に表すことなどどれ一つをとってみても大変なものばかりです。しかし、何といっても、一番基本的で大切なものは補習校や家庭で日本語のシャワーを浴び、日本語を自分の言語にしてしまうことです。このため、どこの補習校でも、「補習校の中では日本語を使うこと。」を義務づけ、家庭においてもルールを作り、日本語で話すことを奨励しています。現実には、どの程度まで各補習校でしているかはまちまちです。一方、本校はどうでしょうか。本校において日本語のシャワーを浴びているかというと少し不安な面があります。それは、現地校の教育と補習授業校の教育の文化の違いを無意識のうちに同じものとして受け入れてしまう状況が少なからずあるということです。具体的にいえば、「ここはアメリカだから、現地校でチューインガムをかむのは普通ですよ。教室で帽子をかぶるのはあたりまえですよ。」といい、それを許してしまう雰囲気があることです。この問題はどの補習授業校でも多かれ少なかれありますが、大切なのは、「補習校に来ている共通の目的は、日本語を少しでも多く覚え、日本の教育を少しでも多くうける。」ということを、保護者を始め、関係する方々に理解していただくことです。安易な妥協は、結果的に子どもたちの当初の意欲を奪い、それにより日本の教育を受けることを断念させてしまうことにつながります。

 そこで、本校にとって、今、しなければならないことは、教員、生徒児童、保護者共に、これらの人々が手を取り合って、補習校の目的である「日本の教育と文化を学ぶ。」学校を共通理解し合い、この目標に向かって邁進していくことです。補習授業校は、単に日本語を教える学校ではなく、日本語を使って日本の教科書を使って日本国内の学校に準じて学習し、日本の文化も享受していく学校です。それが今損なわれかかっているように思えます。これが崩れずに何とか維持されているのは、保護者の方や多くの関係者の努力も勿論ですが、ひとえに現場教員の先生の心血を注いだ教育のおかげだと思っています。ただそれをもってしても子どもたちにとって補習授業校本来の環境がうすれていく気がしています。その一番の象徴が、児童生徒同士の英語による会話が聞かれるようになってきていることです。このことは、特に幼少児期について日本語のシャワーを浴びせるべき役目を持つ補習授業校、ひいては家庭でその役目がなされていないことになり、日本語取得の能力低下につながります。これは本校教育の根幹にかかわる課題であり、是非是正していかねばならなりません。

 そこで、この状態を改善するため、以下のような仮説を立て、本校の教育を進めていきたいと思います。この教育を推進していくためには、教員相互の課題の共有とチームワークが不可欠であり、同時に児童生徒と保護者の賛同と協力が是非必要です。この改革の最終の目的は、補習校の中では、「日本語を使う。」という意識が、先生、児童・生徒、保護者に共有され行動に移されることです。ひいては本校の教育水準の向上につながることです。

いままで続いてきたことを変えていくのは難しい。しかし、これを打破するのは「変えていこう!」とする意識のご家庭での共有と、チームワークと粘り強くやり抜く持続力であると思っています。お互いに目標を共有し、各学校で工夫していただいて成果が上がりますようよろしくお願いいたします。

 

カリフォルニアの風

サンフランシスコ日本語補習校通信

2007年度  第4号

2007年9月1日()

集中学習の中から

サンフランシスコ日本語補習校 校長 植木 進策

 集中学習の終了後、長い夏休みがありました。本校の集中学習は10日間という長さで、他の補習校に比べても長い方だと思います。他の補習授業校での集中学習を実施したり、期間を少し長くしたいところは多いのですが、出来ない理由はいろいろあるようです。まず第一番は、集中学習を実施する校舎が借りられないこと。地域によってはサマースクール等で借りられなかったり、集中学習を午後にやっているところもあります。次に、ウイークデイに来てもらえる先生が揃わないこと。ウイークデイには仕事を持っておられる先生の場合には、集中期間中先生をしていただける方を見つけるのが大変難しいか、いない場合があります。本校の場合、ディストリクト、現地校、保護者、そして先生と多くの方々の協力で集中授業が毎年継続実施されています。

この10日間の集中授業を見るとき、出席した子ども達も保護者の方も大変ですが、普段の授業では得られない大きなメリットがあります。それは、授業を連続ですることにより、教室のかざりや持ち物ををそのままにしておくことが出来るので、日本の学校に近い環境が提供されることです。継続した授業によって効果が上がり、特に低学年にとっては日本語のシャワーを連続して浴びることによって日本語が急速にうまくなります。また、日本に体験学習等で帰っている子どももあり、少人数の学習ができることや、新しい友だちが出来て、なかまの輪が広がることです。もちろんデメリットもあります。10日間連続して日本の授業をすることは、こどもたちにとってストレスがたまり、いらいらがつのる場合があることです。先生達はあの手この手で子ども達のストレスを発散させたり、疲れている子には注意深く観察しながら、いたわりのことばをかけたりしています。先生方も疲れ、時には声がかすれてしまう人もいます。大変な集中学習ですが子どもも先生も保護者の方も一緒になって盛り上げ、それだけに効果のある学習が出来るものだと思っています。

ところで、この集中学習の中の出来事ですが、どこの学校でもそうですが集中授業中は教室の前に多くの作品等が張られます。小学部サンノゼ校でも教室前に多くの児童の作品が張り出してありました。私は、児童が詩を鑑賞した感想文を順番に読みながら、はっと立ち止まりました。私は、「詩の鑑賞」については素人ですが、その私が見ても素晴らしいと思う感想文があったのです。鑑賞した作品は、木下利玄作の「街をゆき、子どもの傍を通るとき 蜜柑(みかん)の香り 冬がまた来る」でした。私なりに解釈すると、「街を行きながら子どもの傍を通ると蜜柑の香りがした。その香りを嗅ぐと、ああ、また冬が来るんだなと思った。」ということでしょうか。これに対し感想の概要は次のようなものでした。

「ぼくも冬にたくさんのみかんをたべて、お母さんにいつもしょくじのまえにみかんのたべたのをにおいでばれるから、この短歌はよく意味がつたわってくるからです。

2つ目は、冬になると、お母さんがふとんをいつもより多くかけるから、冬が来たのがわかるから作者の考えよくわかるから。」

私は、お母さんがいつもより布団を掛けてくれることで、「ああ、冬が来たんだなあ。」と感じる感性を素晴らしいと思いました。そこには、お母さんの優しさや、それを感じるこどものお母さんへの感謝の気持ちが感じ取られます。この君は、そんなに日本語が得意ということではないかも知れませんが、補習校で日本語を学び、日本語の持つ素晴らしい微妙なニュアンスや表現力を学び、日本語が好きになり、自分の能力をもっともっと開花させて欲しいと思います。また、このような指導をしていただいている先生方に感謝すると共により多くの子ども達が日本語の美しさを感じてくれればと思った次第です。