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サンフランシスコ日本語補習校通信 2007年度 第1号 2007年4月21日(土) |
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サンフランシスコ日本語補習校校長 植木進策 このたび,岩ア校長の後任として,兵庫県の宝塚市からまいりました植木進策といいます。どうぞよろしくお願いいたします。宝塚市は人口約22万人,六甲山系の東側に広がる町で,大阪市のベッドタウンとして,また宝塚歌劇の町として,そして温泉の町として有名です。近頃は,漫画「鉄腕アトム」の作者手塚治虫の育ったところとしても有名になりました。また是非行ってみて下さい。 私は,さる3月の18日にサンフランシスコ国際空港に着きました。初めてみる空からのサンフランシスコは町並みがぎっしりと詰まり、あっという間に国際空港に降り立ちました。町は,高層ビル群と多くの人の行き来と西海岸の大都会を実感させるものでした。「いよいよサンフランシスコ,どんな仕事が待ち,またどんな人たちと会えるのだろうか。」と期待と緊張を覚えたのを思い出します。 さて,サンフランシスコ日本語補習校は4校体制で、それぞれの学校に管理部門責任者の主幹をおき,現在生徒数1200名を擁する世界第2の補習授業校となっています。このように非常にたくさんの児童,生徒が生活をしていく以上,常にいろいろな課題や問題が起こってきます。これらを解決していくためには,保護者の方,教員,事務局などが常に意志の疎通を図り,お互いに協力をしていかなくてはなりません。私はいろいろな事柄を解決していくためには,「人と人のつながりを大切にする。」ことが必要だと思っております。当たり前のことではありますが,このこと抜きにものごとはなかなか前には進まないと思います。それでも解決をしないこともあるとは思いますが,少なくともお互いに分かり合えるところができるのではないでしょうか。「この子たちが日本の文化の伝統を受け継ぎ,明るくのびのびと育つように。」また,「保護者、学校、理事会が共に支え合う学校」を目指して努力をしたいと思います。 私は9年前から6年前まで3年間、ロサンゼルス補習授業校(あさひ学園)に校長として文科省より派遣されていましたが、その間、補習授業校の大切さ、難しさなどを体験したのを思い出します。最も記憶に残っているのは、お互いに意見の相違はあっても、「この子達のために、日本の教育を、文化を伝えるために」という。共通の願いだったように思います。ロスアンゼルスとサンフランシスコ、同じ補習授業校であっても中身はまったくと言って良いほどちがうと思います。1からの出発と感じていますが、ただ、子どもに対する思いだけは同じであると確信しています。 サンフランシスコ日本語補習校は昭和43年、日本から来た方々が自分の子どもに日本の教育を教えるため、お父さん、お母さんが先生となり、校長となり、理事長となり、教会の部屋を借りて始められた学校です。まさに寺子屋からの出発だったでしょう。時を経てサンフランシスコ日本語補習校は世界第2の大きさになりました。でも基本は同じです。財政的、人的基盤が脆弱な中、パーフェクトからの出発ではなしに、抜けたところをいかにお互いが手をさしのべ合いカバーしていくかの取り組みになります。 「補習授業校は、その存在そのものに意義がある。」これは私がロスでの3年間で学んだ言葉です。理事会、学校、保護者、地域の方々と手を取り合いながら、サンフランシスコ日本語補習校を守り育て、次の時代へ引き渡せればと思っております。どうか自分たちの先輩が作った学校として、ご声援、ご協力をよろしくお願いいたします。 |
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